昔の事・今の事

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監禁・48時間の裸体(1982)

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自分の初監督作品は、いつだったのか?、もちろんタイトルも内容も、ハッキリ覚えているのだが、いつなのかがハッキリしない。

そこで、色々と調べて見た、日本AV史のはじまりの頃の話になる。

制作はVIPエンタープライズという会社、ググッても出て来ない。検索を群雄社、と変えて見る、群雄社はVIPの親会社で、エロ本などを出版していた。

群雄社をググるとアトラスにじゅういち、にたどり着き、簡単に答えが出て来た。

ウィキペディアを少し引用させてもらう。

群雄社出版と、鈴木清順による映像作品などの制作で知られる荒戸源次郎率いるシネマプラセットによって、1981年6月にVIPエンタープライズが創業。(中略)翌1982年1月に発売されたビデ倫審査ビデオ、「監禁・48時間の裸体」と「死虐の室(へや)」が第1回リリース作品とされる。(中略)初期のVIPはスカトロAVメーカーとして認知されていた。

ここに出て来た「監禁・48時間の裸体」が、僕の商業的な監督作品の第1作目になる。

1982年1月はまだ23歳だ。

ウィキペディアに書かれているように僕は{荒戸源次郎率いるシネマプラセット}にいて、映画監督をめざす若者だった、それが、シネマプラセットが倒産し、VIPに行かされた形になる。

まだアダルトビデオという言葉は無かった、ポルノビデオとかピンクビデオと呼んでいたと思うが、そんなポルノビデオでも、監督をするという事は正直、うれしかった。

この作品に先立ち「実写・盗み撮り・女子便所」という30分作品を4本撮ったけど、その作品はシネマ・プラセットからVIPに行かされた、僕を含めた3人と、群雄社から来た社長の Kさんの4人がワイワイ言いながら作ったもので、誰が監督という作品ではなく、また、作品そのものも素人マニヤが撮ったというオムニバスっぽい作りだったので監督は必要無かったのだ。

「監禁・48時間の裸体」は30分の作品だ、この作品を作るにあたって、言われた事は{作品中にオシッコ3回、ウンコ1回}出す事。

初期のVIPはスカトロAVメーカーとして認知されていた。のであるから、スカトロシーンは必須であったが、SEXの場面は無かった。

物語は、何者かに誘拐された女が倉庫のような所で、全裸にされ縛られる。誘拐した男は、お菓子など食べながら、ひたすら電話を待っている。

女はやがて尿意を催すが、男に、バケツにしろと言われ・・・で、

小3・大1・・・となる。

やがて、男に電話が来て、男は倉庫のシャッターをあけ、全裸の女を人目につかせて、立ち去る・・・

まあ、そんなようなストーリーだ。

まあ、ストーリーなんてどうでも良くって、オシッコ・ウンコをどう見せるかだけだった。

オープニングはナイトシーンで、女をクルマ で誘拐する場面を青山墓地あたりで撮った、少人数スタッフだったけど、照明も必要だったし、かなり大掛かりな撮影になったと思う。

だれもAVの撮り方なんて知らなかった、元々は映画やテレビのスタッフなので、そんな撮り方しか出来なかった、また、カメラも今のように小型で、暗闇でも撮れるような機種ではなかった、カメラも大きかったし、カメラとレコーダーは分離型だった。

この作品が売れたかどうかの記憶はないけど、同時に撮影したSM作品の「死虐の室(へや)」の方がヒットしたのは良く覚えている

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